AIの進化と写真撮影の意味

こんにちは、大阪在住の写真家Yuto[X(旧Twitter) Instagram]です。

ここ数ヶ月で一気にAIに関する話が増えてきました。代表的なものはMicrosoft Edgeや、Chat GPT、Adobe Fireflyなどといったところでしょうか。最新テクノロジーに触れるのは面白いとともに年齢とともに触れるのが億劫になる場面もあるので、歳を重ねた時に置いていかれたくないなぁと感じたりするものです。
さて、AIは会話ができるだけでなく、画像生成もできるようになってきました。Adobe Fireflyなどはかなり精度が高くなっています。そんな中で写真撮影という行為がどれほどの意味があるものなのか、考えてみました。

私のプリセットと著書、そして運営している教室です。

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世間ではAIがよく話題となり書店に行くと店の前にAI関連の書籍が並んでいます。巷では2045年にはAIが人類の知能を超えるぞシンギュラリティ(技術的特異点)だと騒ぎにもなっていますが、そもそもAIとはなんぞや。ということで話題のChatGPTに気になることをかんたんに聞いてみました。


以下Chat GPTより引用。

Yuto

そもそもAIってなんですか?

Chat GPT

AIは「Artificial Intelligence(人工知能)」の略で、人工的に構築されたシステムが人間の知能に類似した機能を実現することを指します。
AIにはいくつかの種類がありますが、一般的には「弱いAI」と「強いAI」の2つに分類されます。弱いAIは、特定のタスクを実行するためにプログラムされたもので、例えばスマートフォンの音声アシスタントや自動運転車の制御システムなどが挙げられます。一方、強いAIは、人間と同等以上の知能を持つことを目指したもので、現在はまだ実現されていません。
AIは、機械学習や深層学習といった手法を用いて、データを解析して自己学習し、より高度なタスクを実行できるようになっています。近年、AIの技術が急速に進歩し、様々な分野で応用されています。

Yuto

あなたは弱いAI、強いAIどちらですか?

Chat GPT

私は弱いAIの一つであり、より正確には自然言語処理のタスクに特化した言語モデルです。私は、大量のテキストデータを学習して、人間の言語理解能力に類似した機能を実現することができます。しかし、私は人間の知能を持つわけではなく、自律的な思考や意思決定はできません。

Yuto

感情は持っていますか?

Chat GPT

私は人工知能であるため、感情を持つことはできません。私はプログラムに従って動作し、入力されたデータに対して処理を行いますが、感情や自己意識といった人間特有の概念は理解できません。ただし、私は感情を含む人間の言葉や文章を理解することはできます。

Yuto

強いAIだったら感情を持てると思いますか?

Chat GPT

強いAIが感情を持てるかどうかについては、今後の技術の進歩や研究の成果によって異なる見解があるかもしれません。ただし、現在のAI技術の範囲では、人間のような感情を持つことは困難であるとされています。
人間の感情は、脳の神経系に複雑な作用があり、様々な生理学的・心理学的要因によって影響を受けます。また、感情には社会的・文化的な背景や経験、知識などが深く関わっています。これらの要素を完全に理解して再現することは、現在のAI技術では困難とされています。ただし、将来的にAI技術が発展し、より高度な知能を実現することができれば、感情を持つことが可能になるかもしれません。

引用ここまで。


雨の難波夜景はサイバー空間ぽくて大好きです。
AI関連記事のイメージに合う写真なので貼っておきます 笑

というように、自然な流れで会話はできるけど今のところ感情まではないんだそうです。
感覚としては今まではGoogle検索の中で膨大な情報量の中から必要なものを取捨選択していましたが、これからはよりダイレクトに答えが見つかるようになっていくのではないかなという感じですね。

さて、そんなAIですが実は画像生成がすでにできます。Adobe Fireflyのサイトでいくつか作品が掲載されているのでご参照ください。

現段階ではイラストのようになってしまったり、少し違和感があったりとまだ写真とはクオリティに差がありますが、いずれは写真同等の描写能力を持ってくるでしょう。いわゆる名所と呼ばれるところの定番構図などは比較的早くAIが描けるようになるのではないかと予想しています。また学習能力を持っていることからSNSやブログなどで公開されているような写真と似たようなものもすぐに生成できるようになってくるでしょう。とにかくAIの進歩はかなり早く、数ヶ月後には状況が変わっているかもしれません。

そのような時代において写真撮影とはどのような意味を持ってくるのでしょうと考えた時に出てくるのが、その瞬間の記録であったり、思い出になったりするのではないかと考えています。つまり同じような画像だとしてもそれが出来上がるまでの過程が大事な要素になってくるわけです。

10年間行きたかった雪の京都に無理矢理言ってカメラに雪を積らせながら撮った写真。
色々と思い入れのある写真だが今後はこういったエピソードや過程がもっと重要視されるのかも。

例えば宇宙ステーションで記念写真を撮った画像があるとして、それが本当に行って撮ったものなのか、AIによって創られたものかで重みが全然違ってくるわけです。皮肉にもAIの登場によって写真というものが本来の記録や思い出などの原点に戻るのではないかと考えています。後は芸術作品を創るための娯楽用品になるのかなと。商業写真を撮るカメラマン、写真を用いて作品を創る写真家、何かしら写真を生業にしている場合はAIの影響を大きく受けるのは間違いないですが、趣味で楽しんでいる範囲であればそれほど大きな影響は受けないのかなと。

ただ、AI関連の話になるとよく出てくる仕事が取って変わられてしまうと悲観的になる必要はないとも思っていて、AIで画像生成ができることによって、助けられる部分も大きくあるはずです。それはフィルムからデジタルカメラへの移行、レタッチや合成が手軽にできるようになった時にその経験をしている人も多いのではないでしょうか。僕自身はデジタルカメラが流行りだした頃ぐらいに写真を始めたので、デジタルカメラが進化し、パソコンとレタッチソフトが進化し、撮影時の追い込みやレタッチが楽になっていく恩恵を大きく受けました。そのかわりそれまでは撮るのが難しかった夜景や花火を撮っただけで持てはやされる時代は終わってしまいましたが、夜でも手持ち撮影できるようになったり、細かいレタッチなどができて表現幅は大きく広がりました。
同じようなことがAIによる画像生成でもっとダイナミックに起こるのではないかなと考えていて、その時にAIがあったからこそできたというもの、表現技法こそ陳腐化したもののAIではできない過程があるものを創り出すことが必要だと思っています。

なぜこの写真を撮ったのかということを深く考えなければならない時代がくるかもしれない。

まとめていきますと、AI時代における写真撮影の意味とは美的な価値や感情を表現するための手段としての役割が強くなっていくのではないかと思います。
と言うのもAIには感情がない(とAIが言っていた 笑)ので、画像としてハイクオリティなものを生成できた時に、そこに人間らしい価値や感情はありません。反対にAIに画像生成を指令するのは人間なのでその人(または見る人たち)が生成された画像に価値や感情を付与していくことはありそうです。

今はPhotoshopでやっている緻密な合成がかなりやりやすくなるのが少し先の未来じゃないかなぁと予測しています。

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